増上寺と「芝浜」
先日、芝公園に仕事で行きましたが、時間が空いたので増上寺に足を伸ばしました。14世紀末に開かれたお寺ですが、当時は今とは別の場所、紀尾井町あたりの貝塚にあったそうです。東京でもっとも有名なお寺の一つですが、初拝観となりました。
増上寺といえば、本堂と東京タワーのコントラストが見事です。平日のお昼でしたが、この二つをバックに思い思いに記念写真を撮る外国人観光客の姿が印象的でした。
徳川家の菩提寺として有名ですが、歴代15代将軍のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。日光東照宮が家康と家光、上野の寛永寺が綱吉、吉宗ら、谷中霊園が慶喜の計四ヶ所ある徳川家のお墓のうち、半数近くがここで眠っています。
第二次大戦のときの東京大空襲で、霊廟が消失してしまいましたが、日光東照宮と並び称されるほどの荘厳なものだったようです。なお、徳川家墓所は今年の4月から拝観ができるようになりましたが、残念ながらこの日(火曜日)は定休日でした。
境内の入り口にある三解脱門をくぐった右手に梵鐘があります。鐘楼堂は1633年に建立されましたが、現在あるものは戦後に再建されたもの。収められている大梵鐘は、1673年に完成しました。高さ3メートル、重さ15トンあります。案内板には「時の将軍家綱(四代)の命により、奥方のかんざしなど多くの寄附を集めて江戸で初めて造られた鐘」とあります。
昔の川柳に「今鳴るは芝か上野か浅草か」、「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」、「西国の果てまで響き芝の鐘」というものがあります。増上寺の鐘が遠くからでも聞こえるさまを表していますが、実際に聞こえる距離は2キロほどだったようです。
江戸の庶民に親しまれた増上寺ですが、古典落語の演目にも出てきます。その一つに「芝浜」というのがあります。現在のJRの田町駅と浜松町駅の間あたりのことで、線路のある場所はこのころは浜だったそうです。ちなみに増上寺から田町駅までは2キロ弱です。
腕はいいのに働くのが嫌いな大酒飲みの魚屋の勝五郎とそれを支える献身的な妻の人情噺ですが、増上寺の鐘が噺のいいアクセントになっています。落語なのに思わずホロリとさせられる名作です。(なお、志ん朝バージョンも聞きましたが、増上寺は登場しませんでした。)