「節目の年」をきっかけにモノを処分しよう
■モノを手放す修行
インドの富裕層では、(ヒンズー教の教えなのかはわかりませんが)ある年代になると、それまで持っていたものを少しずつ手放していく修行をするのだそうです。そうして自らを律さないと一度手にしたものを手放すことは容易ではないという所作なのかもしれません。
ここのところ、片付け術とかミニマリストといった言葉を新聞でもよく見かけるようになりました。1月6日の朝日新聞にも、「最低限のモノで暮らす『ミニマリスト』の生活スタイルにも共感が広がる」との記事が出ていました。
■モノを処分するのに歳は関係ない?
所有するものを手放していくのは、それなりの年代になってからというのが通説だと思いましたが、若者の間にも広がっているのが意外です。モノに囲まれた生活と決別して、穏やかで居心地がよく、そして無理をしない日々を過ごしていくには歳は関係ないということでしょうか。
筆者の家でもこの1年で、無用の長物となったものを処分しました。婚礼ダンス、エアコン、ソファ、書棚など。処分に苦労したもの、違う処分法にすればよかったというものなどもありましたが、狭い家の中のスペースが見違えるようになったので、バッサリと処分した判断は間違ってなかったと思います。
■「節目の年」にモノを処分しよう
モノを片づけたり、処分するときに大事なのは、いかに「思い切りの良さ」を発揮できるかです。「場所はとるけど別に今じゃなくても」とか「処分するまでの作業が面倒」とか、様々な”言い訳”が「思い切りの良さ」の判断を阻害します。
「思い切りの良さ」はモノを処分するうえで必要でも、一気に片を付けるのは賛成しません。以前書いたようなソファの自力解体のように、一筋縄でいかないこともあるからです。仮に一番最初にソファから手を付けていたら、「処分しよう」という気持ちが一気になえていたと思います。(それほど大変でしたので。)
踏ん切りをつけるのを後押しするのが、冒頭のインドの富裕層のようにある年代、つまり自分の「節目の年」にそれを行うことです。1年かけて少しずつ処分するのなら、計画も立てやすいので。筆者もキリのいい歳になったことが、そのきっかけでした。
「節目の年」とは「とうとう自分も●●歳になった」と感じる歳であり、人それぞれですが、そうした年を誕生日から自動計算してくれるサイトを見つけました。