文章を書く上で避けて通れない「思う」症候群
■「思います」という便利な言葉
「定刻となりましたので、ただいまより記者会見を始めさせていただきたいと思います」と口火を切るのは見慣れた(聞き慣れた)光景です。あるいは会社の送別会や忘年会などで「それでは、●●さんにご挨拶をお願いしたいと思います」というのも。
こういうちょっとかしこまった場で、「思います」という言葉が使われることがよくあります。よく使われるということは便利な言葉ということになります。意識せず筆者が使っていることもあると「思います」。へりくだった言い方という意識がそうさせるのでしょう。
ただ聞き手に取ってみたら、違和感を持つ人もいるかもしれません。「始めさせていただきます」、「挨拶をお願いします」でいいのではないかと。その指摘は一理あります。
自戒を込めていえば、ブログでこのように文章を書いていると、「思います」とか「感じます」といった言葉を意識せずに多用していることがあります。
■文章でも多用される「思います」
そもそもブログは、筆者自身の思考の赴くままに書くことのできるツールなわけで、わざわざ「思う」と付け加えることないんじゃないか。そんなことを「うまい!と言われる文章の技術」(2001年)を読んで気づかされました。
著者によれば、自信のなさそうな口調としての「思う」症候群と、語彙が不足しているために何もかも「思う」という動詞だけで代用させてしまう症候群の二つあると。人間の思考や感情は多彩であるのに、「何から何まで、『思う』だけで済ませてしまうなんて実に寂しいではないか」と戒めています。
子供のころに学校で作文を書かされました。当然、語彙は貧困。まさに「思う」症候群にさいなまれていました。使うまいと意識しても、使ってしまうことが、大人歴の長くなった筆者の場合、今でもあります。
■「下手に書こう」
どの文章指南書にも共通する、二大根本原則のことが井上ひさしが著した「自家製 文章読本」(1984年)に出ています。それは「書く前に考えよ」、「話すように書け」です。
前者については著者も「拳拳服膺(けんけんふくよう、常に忘れないでいること)させていただく」としています。ところが、後者については「噴飯物」、「人間にはやや不自然な、もっといえばかったるい、そしてじれったい作業」と手厳しい。
そのうえで、「『話すようには書くな』と覚悟を定めて、両者はよほど違うものだというところから始めたほうが、ずっと近道だろう」と。
文章の大家にも言文一致を説いた先達たちは大勢いると井上氏も認めています。かつて「下手に書け」と提唱し、その後の「ふだん記運動」と礎を作った橋本義夫氏のことも書かれています。
ブログの文章では親近感を醸し出すし、話し言葉を使っても別に構わないと筆者は感じます。話し言葉であろうがなかろうが、文章を書くことが得意でない人には「下手に書こう」とエールを贈りたいと思います。