何をもって情報弱者?スマホとにらめっこするのが情報強者とは思えないんだけど
■本当の”情報弱者”とは
「情報弱者」-「マスコミ報道やインターネットなどに触れる機会が少なく、情報の入手において不利な環境にいる人。また、情報の価値や真偽の判断に慣れていない人」(デジタル大辞泉)
最近読んだ「情報汚染の時代」(2014年)で、その言葉の意味を考えるようになりました。今どき「情報弱者」も知らないのか、と笑われそうですが。元々の意味が転じて、ITリテラシーが低くて、情報を効率よく導けない人に対する蔑称としても、一部で使われているようです。
誤解を恐れずに言えば、毎日何時間もスマホとにらめっこする人たちが「情報強者(という言葉が対語としてあるなら)」とはとても思えません。この本の著者も「時間投資の効果をきちんと考えることのできない人間が弱者なのであり、大量の時間をネットで費やすだけでは、決して情報を上手に利用している側にいるとはいえない」と。
まさに我が意を得たり。
同じ時間を使う場合、「得たい情報しか得ない」姿勢と「得られる情報を得る」姿勢があるのだとすれば、筆者は迷わず後者を選びます。そのほうが広い視野に立てると信じるから。以前も書きましたが、新聞の購読を続けている理由もそこにあります。
■高田明前社長が最後のテレビ出演後の会見
ジャパネットたかたの創業者、高田明前社長が最後のテレビ出演を行った今年の1月15日の会見で、「『情報弱者に口八丁手八丁で売っている』という人もいたが、僕には怒りはなかった。そう言われるのは、そう思って見ている人がいるということ」と述べています。
さらに、「引き継ぐ人がそれを理解して、『そうじゃないんだ、思いの中で語っているんだ』と思っていただけるように」とも。特徴的な話しぶりのイメージが先行しがちですが、思いがあってのあの話しぶりと分かれば見方も変わります。
高田さんは、以前「商売とは、伝えること」、「伝えないと、ないのと同じ」ということを別の場で述べています。こうした言葉に筆者は、広報担当者のあるべき姿を感じます。
■高田前社長おススメの「世阿弥の世界」
その高田さんが先日、朝日新聞の書評欄の「思い出す本、忘れられない本」というコーナーに登場しました。能楽を大成し、「風姿花伝」をあらわした室町時代の世阿弥のことを書いた本を取り上げています。
「初心忘れるべからず」ということわざがあります。これも世阿弥の言葉が元です。若い時に失敗や苦労を忘れるなという戒めですが、必ずしも「初心」とは「若い時」に限らず、他に二つあるのだと。それは「歳を経て積み重ねられたその時々」と「老齢期」です。高田さんも「初心忘れるべからず」の心境なのでしょうか。
詳細は記事に譲りますが、自分も早速この本を読もうと、図書館で借りようとしたところ、すでに予約が10件近く入っていました。「情報強者」というのは案外こういう人たちを指すような気がします。