「あの編集長とはポンユーだから」(苦笑)
■「知るきっかけ」を得た後にすべきこと
インターネットはもちろん、新聞やテレビといったメディアに接すると、いろいろな情報が入ってきます。メディアはまぎれもなく、「知るきっかけを得る」のに適しています。ただ、自戒を込めて思うのは、「一次情報を見たり読んだりするだけで、わかった気にならないほうがいい」ということ。
新聞や雑誌の書評欄、あるいはネットでも同様の書評サイトがある。なので、読みたい本を探すのに、そういうところで一次情報を得ることがあります。加えて、最近多いのは読み進めた本の中で紹介してあったり、引用したりしているものを読むこと。こうして一次情報から二次情報、三次情報と、一つの本から数珠つなぎのようにつながっていきます。
先日、ジャパネットたかたの高田明前社長が薦める本について触れました。
「へぇー。この人はこんなきっかけでこの本を手に取り、こんな読後感を持ったんだ。なるほど」。それで終わる場合が大半です。ただ、この場合、日本史に興味があるし、高田さんのパーソナリティに好感をもっていることもあって、「これは自分も読んでみよう」と思った次第です。
図書館で借りようと思っていますが、予約がさらに増えていました。関連本も多いので別の本で当面はしのぐつもりです。
■「下品」な人
ところで、週刊誌などで仕入れた情報をもとに、訳知り顔で「あの新聞社って実は○○らしいよ」などと言い募る人に以前、あったことがあります。「どこかで聞いた話だな」と感じて記憶をたどると、「そういえば週刊●●に書いてたな」というような。
事情通を気取っているのか、自分のネットワークの広さを誇示したいのかは知る由もありません。それでも、週刊誌に書いてあることを「自分が直接仕入れてきたかのように言う」ことに何の価値があるんでしょうか。
他人を「下品」と見下すほど筆者が上品だとは思いませんが。傾向として言えるのは、コンプレックスが強いと人は、こういう形で発露するのかな、と。本来、コンプレックスは相対的なものなので、「人と比較すること」をやめれば止まると思うのですが。
■「あの編集長とはポンユーだから」(苦笑)
「下品」で思い出すことがもう一つあります。何度か会ったことがあるというだけで、「あの経済週刊誌の編集長は(自分の)“ポンユー(朋友)”だから」などと臆面もなく言う人がいて、唖然としたことがあります。筆者自身、その編集長には、担当記者時代に何度か会ったことがあり、取材にも来てもらったことがある人でしたが、「ポンユー」などというつもりは毛頭ありません。
こういうことをいわれると「ポンユーだから何?」と筆者などは思ってしまうのですが。。ちなみに、“事情通もどき“と”自称編集長のポンユー“は同一人物。ある意味、強烈な人でしたが、反面教師になっています。