「興味や関心のシェア」をしますか?それとも「”輝いている自分”のシェア」をしますか?
今週のお題「私がブログを書く理由」
■「フェイスブックポリス」というギャグ漫画を新聞で知る
アカウントは何年か前に作りましたが、ほとんど利用しないのがフェイスブック(FB)です。友人知人の多くも二極化した使い方をしています。筆者のように登録はしたけど、ほとんど使っていない(使いこなせていない?)休眠状態の人も少なくない。
その一方で、「あそこに行った」、「ここでラーメン食べた」といった「たわいもないこと(と言っては失礼か)」を写真付きで日々更新し続ける人もいます。それに「いいね!」がついている。
4月26日の朝日新聞の「文化・文芸」面に「FBの虚栄心を笑え」と題した記事がありました。FBの場合、全く知らない人とはつながりにくいので、時に「自己顕示欲や虚栄心も露呈しやすい」。そんなFB上の人々の行動をデフォルメして、面白がるギャグ漫画「フェイスブックポリス」というのが昨年秋にネットで公開され話題になったそうです。
記事本文の冒頭に、「『後で読む』。そんなコメントをつけて、英文記事や高尚な情報のリンクなどをFBに投稿する」とあります。「まさに”FBあるある”」だな、と思いながら、吹き出してしまいました。漫画の中では「ソーシャル積読(つんどく)」の“容疑”。
リアルでは交流できない女性の歓心を惹こうと腐心する「ソーシャル出待ち」や投稿の中身も見ずに機械的に「いいね!」を連打する「ノールックライク」という“罪名”も。
元々は同世代を中心にした交流のツールとして普及したFBですが、親子や上司と部下のように世代を超えたつながりができ始めた頃から、投稿する内容も変化したといいます。「本当の自分ではなく、“輝いている自分”を見てほしい。FBはそういう欲望を解放してしまった」との識者のコメントが紹介されています。
■「SNSの使い分け」が大事
LINEやインスタグラムといった他のSNSが普及したせいか、以前ほど使う人が増えているようには見えませんが、それでもFBを久しぶりにのぞきに行くと、ヘビーユーザーの実にまめな投稿を見かけます。
最近出たセミナーで初対面の人に「FBやっていますか?」と複数の人に聞かれ、「アカウントはとってあるんですが…」と答えてしまいました。そうした経験がこれまでなかったので。
先日、「ブログを書く理由」について思うところを書いてみました。これを書くにあたり、「なぜFBではないのか」と改めて自問自答してみました。その答えは、「自身の興味や関心を書く場としては、あまり意味がないと思ったから」。
日ごろ感じていることを(あまりもっともらしくならずに)伝えたいのか、それとも、つながっている人に向けて“もっともらしいことを考えている自分”を伝えたいのか。
ブログは自分の「関心のシェア」ができる。FBは自分の「(ちょっと素敵な)行動をシェア」、「輝いている自分をシェア」する。そんな、使い分けがあるのだと記事を読んで感じました。結果、筆者はブログを選び、FBは休眠状態で現在に至っています。