プレゼンで「動画を見せられている感覚」になったことはありませんか?
■「1枚のスライドには、一つのメッセージを明確に残す」
業績や事業戦略の説明などで、企業の幹部がマスコミやアナリストの前で、パワーポイントを使って説明することがよくあります。そうした場に立ち会ったり、プレゼン資料を読んだりする機会がありますが、「各スライドの情報量が必要以上に多い」と感じる場面が少なくありません。
図やグラフ、そして画像は、聞き手に複雑な情報を比較的クリアに伝えることが出来ることから、よくプレゼン資料にも使われます。文字や数字だけで相手に理解を促すには限界があるので。それでも、実際には文字や数字がびっしりと書かれたものが依然として多いようです。
以前読んだ本にも、「1枚のスライドには、一つのメッセージを明確に残す」とあります。プレゼン資料の指南書にも同様の主旨のことがよく書かれています。
一枚のスライドにこれでもかと、小さな字で情報が書かれている理由を考えてみると、「言いたいことがそこに書かれていないと不安。書いていないと肝心なことを伝えそびれることもあるし」と考えることができます。話し手側に立てば、その不安はよくわかります。
反面、読み手にとっては、「苦痛」です。スクリーンに投影されていても読めないような小さな字で書かれていることに、重要なメッセージが含まれているとは、多くの人が感じないはずです。筆者もようやくそのことに気がつきました。。
■プレゼンの三つの目的
思い起こすのはプレゼンテーションの原点ともいうべき、「プレゼンの目的とは何でしょうか?」という話です。セミナー講師によれば次の三つです。「聞き手に喜んでもらう」、「内容を理解してもらう」、そして「聞き手に何らかの行動を起こしてもらう」ことです。
最近、クラウド上で英語の勉強ができる教材の話を聞く機会がありましたが、セールスにあたった担当者は、説明もそこそこに、「とりあえずわかりやすくまとめた動画を見てください」として、3分ほどのビデオを見せられました。
こうした動画はアニメーションを使って短時間に伝えたいものを盛り込んでいるので、視覚に訴えることが出来るので話し手にとってとても便利です。ただ、なければ説明できないというものでもありません。
「動画を見せられている感覚」というのは、個人的にあまり気持ちいいものではありません。話し手がラクをしようとしているわけではないでしょうが、そのあとの説明を聞けば、動画がどうしてもなければならないものじゃないと気づきます。
動画が流れている間、話し手と聞き手の間には、沈黙が流れますが、それではせっかくの機会が台無しです。(動画をどうしても流したいのなら)動画が流れているときにしか、説明できないことを一言加える手間があってもといい。
今まではどっちでもいいことでしたが、「動画は話し手がラクする手段」と思われないようにうまくつかうべきでしょう。