■謝罪会見をやるにあたってマスコミがまず注目すること
謝罪を伴うような記者会見では、事態の重大さをどれだけ会社側が理解し、記者が納得できるメンバーをスポークスパーソンとして人選したかが問われます。不始末を起こした側が思う以上にマスコミが重視していることは知っておくべきです。
しかし、このポイントを踏まえずに初動対応を行ったために、事態を悪化させて
しまうことがよくあります。「うまく逃れよう」とか、「社長をわざわざ出さなくても」とか、社内のいろんな力学が働く局面でもあり、広報の社内におけるポジショニングが図らずもわかります。。
例えば、3年ほど前のメガバンクの不祥事がそうでした。メガバンクが金融庁の調査によって業務改善命令が出された時点で重大な事案であることは明らかです。翌朝の全国紙の多くは一面トップでした。それなのに、紙ペラ一枚のプレスリリースを携えた広報担当者の説明で乗り切ろうとしていた節があります。
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納得できないマスコミからのプレッシャーで、1週間後に副頭取による謝罪会見が開かれますが、「なぜ頭取じゃないんだ」と大半の記者は感じたはずです。まとも説明がそこであれば、事態は多少改善したかもしれませんし、副頭取で収まった可能性もあります。
しかし会社の思惑通りにはことは進まず、長期間の問題が放置された原因については明らかにされないなど、要領を得ない説明に終始しました。こうなると頭取が出てくるしかないという流れです。当事者には気の毒ですが、「話す内容」と「人選」はよくよく議論する必要があります。
結局、副頭取による会見は「仕方なく会見を開いてやった」感がアリアリの上に、中身も薄っぺらで「リリーフ」としての役目を果たすことが出来ませんでした。できれば頭取を出しなくないという意識はよくわかります。しかし、結果として出さざるを得なくなってしまいました。傍で見ると、往生際が悪いというのはこういうことを言うのでしょう。
■危機に対する自社と社会の認識のずれが問題の本質
同じ年に発覚したホテルチェーンの食品偽装問題でも、危機に対する自社と社会の認識のずれによって、事態が悪化しました。この時も、最初に説明にあたったのは二人の部長でした。「偽装ではなく誤表示」と社長が会見して墓穴を掘ってしまったのは後のことです。
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この二つの事例から思うのは、記者が納得できるメンバーをスポークスパーソンとして人選するには、危機に対する自社と社会の認識にずれを少なくする以外にありません。どちらの事例も、「会社側は大した問題ではないと認識し、社会(マスコミ)は大いに問題だ」と判断したわけですから。自社が危機を危機として判断できるか否か?危機発生時にまず自問自答してほしいことです。