「あの平尾誠二さんが亡くなった!?」
■ 「あの平尾誠二さんが亡くなった!?」
日々過ごしていると、想定外のニュースに驚くことが少なくありません。最近の「トランプ勝利」はその最たる例ですが、個人的にはそれ以上ともいえるのがニュースが「平尾誠二さん死去」です。
平尾さんはラグビー界の至宝として、長く知られてきました。筆者と歳もそれほど違いません。同じ会社にいたものとして常に「まぶしい存在」でした。「オーラ」というものがあるのだとすると、筆者が感じた人はこの人だけです。
同世代で活躍した知る人ぞ知るラガーマンの林敏之氏は、「嫌味のない二枚目」と神戸新聞で評していますが、同意します。当時から口ひげを蓄えていましたが、背も高く、甘いマスクでありながら腰が低く、話も旨い。まさに「嫌味のない二枚目」の典型です。かなうはずがありません。。
社員として何度も応援に行きました。忘れられない試合があります。随分前(1991年)で恐縮ですが、社会人選手権の決勝戦が秩父宮でありました。昔は社会人のチャンピオンも大学チャンピオンもこの時期を決め、成人式(1月15日当時固定)に両者が激突するというわかりやすい流れでした。
この試合を生で見るチャンスを得ました。確か仕事始め早々の頃でした。なので年が明けてからです。対戦相手の三洋が押し気味の試合でした。そんな中、伝説の逆転トライのおぜん立てをしたのが平尾さんでした。筆者を含め、多くの社員が感涙したのを思い出します。そのあとの日本選手権も制し、7連覇の礎を築くものでした。
■神鋼時代の平尾さんのベストプレー
「華麗なステップ」、「ミスターラグビー」など贈られる勝算は限りないですが、この試合は平尾さんの(神鋼時代の)最盛期のプレーとして後世に残したいものです。(平尾さんは12番でポジションはスタンドオフです。)
亡くなったのは、10月20日ですが、その日の神戸新聞を見ると、1面、8面、9面を割いてその功績をたたえています。翌日の朝刊紙面でも1面、社説、社会面、スポーツ面で「らしい」紙面を作っています。ひいき目かもしれませんが、まさにそれだけの人でした。
そんな記事の中に、日本人としてノーベル医学生理学賞をとった山中伸弥さんとの交流も書かれています。山中さんも神戸大医学部で平尾さんに触発されてラグビーをやっていた時期があったようです。
各紙の訃報を見ると、「ラグビー人生輝く」(朝日)、「スマートな熱血漢」(毎日)、「ラグビー界のカリスマ」(読売)、「スポーツ界大きな損失」(産経)、「華麗にひらめく司令塔」(東京)などの賛辞が並びます。
何度もその姿をグランドや職場で見ました。年が近いせいもあって勝手に「先輩シンパシー」を感じていました。同氏を知る関係者から話を聞いても、まさに「嫌味のない二枚目」を実践した人物だと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。