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広報パーソンのつぶやき

事業会社の広報担当者と広報コンサルティングの経験からコミュニケーション全般をメインに、ライフスタイル風なネタも。

「官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」とつぶやいた西郷隆盛

西郷隆盛と熊本城

 「維新三傑」といえば、西郷隆盛大久保利通、そして木戸孝允。19世紀末に出された同名の本がその由来です。中学や高校のときに習ったはずの「維新三傑」の中で、「人となり」や業績まで広く知られ、記憶にも残っている人物は、西郷隆盛を置いていません。

 

 西南戦争で西郷は無念の最期を遂げます。今回の地震で、大きな被害にあった熊本を象徴する熊本城の天守を含む主要部分が消失(昭和に再建)したのは、西南戦争においてでした。

 

 猛攻撃をしかけながら、西郷率いる薩摩軍は一兵も城内に入ることはできませんでした。西郷は「官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」とつぶやいたと伝えられます。地震の被害が広がる中、被災された方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

www.huffingtonpost.jp

 

 改めて西郷に興味を持つようになったのは、内村鑑三が書いた「代表的日本人(原題 ”Representative of Japan”)」を読んだからです。その第一章で西郷を取り上げています。(他に上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹、そして日蓮。)

代表的日本人 (岩波文庫)

 

維新史の巨星

 西郷は、薩摩藩の下級武士として生まれながら、時の藩主の島津斉彬に取り立てられて頭角を現します。それでも、三度の流罪を招くなど、いわゆる“世渡り上手”とは対極の人物です。

 

 坂本龍馬が仲介したとされる薩長同盟では薩摩のリーダーとして、長州のリーダーで三傑の一人の木戸孝允と交渉にあたりました。戊辰戦争が勃発した時には、幕府側の代表勝海舟との会談で江戸城無血開城を成し遂げました。

 

 維新後も廃藩置県などの政策を実現しましたが、岩倉具視や大久保による謀略で、征韓論が葬り去られ、下野。その後、私学校の生徒によって反乱軍の将にかつぎあげられ、西南戦争が勃発、城山の地で49歳の若さで敗死します。

 

 その生い立ち方や生き様を知れば知るほど、多くの人の尊敬と愛着の念をつかんで離さない巨星だったことがわかります。

 

■欲がなく無類の犬好きの一面も

 「代表的日本人」で内村は、「生活上の欲望のなかった人は、他にいない」と評します。普段着は「薩摩がすりで、幅広の木綿帯、足には大きな下駄を履くだけ」で過ごしていたと紹介されています。上野公園の銅像のイメージ通りの人物だったようです。その身なりで宮中の晩さん会であれ、どこへでも現れました。

 

 無類の犬好きの一面も書かれています。「届け物はすべて受け取らず断っていましたが、ただ犬に関するものだけは、厚く感謝して」受け取ったといいます。「大変淋しがりやの西郷は、口のきけない動物たちと淋しさを分かち合っていた」。そんな人間味あふれるエピソードが書かれています。豪放磊落な面だけでなく、繊細さも併せ持った人物だったようです。

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