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広報パーソンのつぶやき

事業会社の広報担当者と広報コンサルティングの経験からコミュニケーション全般をメインに、ライフスタイル風なネタも。

ブラタモリを見て感じた「おれの小樽」(後編)

 

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 明治以降、発展を遂げた小樽ですが、1950年代にニシンが姿を消し、1960年代に夕張などで採れた石炭も石油への転換で需要が減り、そして海運も苫小牧・太平洋ルートへ移行しました。これにより1965年頃には衰退の一途をたどることになります。
 
 タモリさんは番組の最後に「急速に衰退すると、為す術なく残る。急速冷凍の方が鮮度を保つ」と述べていました。31年前にタモリさんが初めて訪れて「何もない町」との感想を吐露し、市民を大いにがっかりさせたそうですが、「名誉回復」につながるいい言葉です。
 
 筆者が小樽に初めて降り立った1985年は300万人に届かなかった年間の観光客は、昨年度は750万人近くまで伸びています。近頃はインバウンドで海外からの観光客も増えているので、観光スポットとしても魅力は、今後も色あせることはないように思いますが、気になることもあります。
 
 社会人になってからも、何度も訪れている小樽ですが、運河沿いの観光スポットを離れると閑散としています。住んでいた頃は日中も夜もそれなりに活気があったように思いますが。人口推移をみると、住み始めた85年は17万人、30年後の今年は12万人まで減っています。(ピークは1964年の20万人)

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 アーケード街などを歩くと目立つのは観光客とシニアの方々。観光以外の産業が減り、若い世代や働き盛りの人たちは札幌に流れていることが一因のようです。ほかにも、坂が多いため冬の雪深い季節の移動が大変という特殊事情もあるでしょう。

 

 観光客に沸く一方で、人口流出が止まらない小樽。2012年には「過疎化地域」に指定されたのだそうです。

小樽市 : 小樽市過疎地域自立促進市町村計画

 

 北一硝子と並んで観光客に人気のスポットとして「石原裕次郎記念館」があります。1991年に開館した建物で、開館当初に一度だけ行きました。裕次郎が3歳から9歳まで過ごしたのが縁でこの地に出来ました。「ブラタモリ」ではスルーでしたが、9月放映の「モヤモヤさまぁ~ず」では紹介されていました。

 

 ちなみにJR小樽駅を一度でも利用したことがある人なら知っていますが、等身大の裕次郎パネルが出迎えてくれます。

 

 小樽に住んでいた頃にバイトをしていたスナック(今でも現役のお店カヌー)のBGMは演歌が基本、カラオケでもよくお客さんが歌っていました。「夜霧を今夜もありがとう」や「恋の町札幌」など名曲の多い裕次郎。北海道を歌った曲も少なくないですが、「おれの小樽」(1983年)がマイベスト。特に、三番目のフレーズが小樽へのノスタルジックな想いを募らせてくれる名曲です。


時がすぎても 胸がいたむのは
風の冷たさ 恋したあたたかさ
さすらい流れて ふと立ち止まる
おれの小樽は 坂の町
別れたあの日が 見えかくれ

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