広報パーソンのつぶやき

事業会社の広報担当者と広報コンサルティングの経験からコミュニケーション全般をメインに、ライフスタイル風なネタも。全国通訳案内士(英語)

朝日新聞で「吾輩は猫である」が始まるので読み返してみようと思う

今週のお題「犬派? 猫派?」

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■4月1日から朝日新聞で始まる「吾輩は猫である

 今年は夏目漱石の没後100年にあたるそうです。それを知ったのは朝日新聞で「吾輩は猫である」の連載が開始されることを知ったから。4月1日からの連載に先立ち、「『吾輩は猫である』の世界」というコラムが、28日から4回シリーズで続いています。 (31日が最後)

www.asahi.com

 

 かつて読んだことがある人でも、読む機会がこれまでなかった人でも、「へぇーそうなのか」という気づきの多いコラムです。なので、まもなく始まるその作品への期待を膨らませる効果がとても高い。

 

 例えば、「『吾輩は猫である』は落語の影が濃い」(3月30日付朝日新聞文化・文芸面)とあります。漱石は、子供のころからよく寄席に行っていたほか、正岡子規と親交を持ったのも、落語好きという共通の趣味をもっていたからなのだと。

 

 作品が生まれたきっかけも、子規の没後、師匠の跡を継いだ高浜虚子が主宰した「山会」へ出す「写生文」にあるといいます。子規が中心になって唱えた「写生文」とは、「文章には落語で聴衆がドッと笑うような山がなくてはいけない」。

 

■猫の癒し効果

 作品に落語が与えた影響について、「構想やユーモラスな挿話、江戸っ子的抵抗精神だけではない。独特のリズミカルな文体や絶妙な会話の呼吸、金田夫人の鼻の描写などにみる奇抜な比喩や形容にもおよび、作品の魅力を深めている」との解説が。

 

 知られているように、漱石も猫を飼っていました。この当時の漱石はイギリスからの留学帰りで、メンタルヘルスに問題を抱えていたころでした。そんなある日、黒猫が夏目家に住み着く。それが名著誕生の着想につながった。猫には得も言われぬ癒しの効果がありますが、漱石にも少なからずその効果がでたようです。

 

 この作品を読むと、その描写力や観察眼に、筆者を含む多くの読者をうならせます。例えば、作品の冒頭からそう読み進まないうちに「腹が非常に減ってきた。泣きたくても声が出ない。仕方がない。なんでもよいから食い物のあるところまであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左に廻り始めた」と。情景が浮かんできます。

 

■ルーティンワークにひたすら苦笑い

 猫と暮らしていて面白いと感じるのは、いくつもあるルーティンワーク。仕事から戻ってきて、再会するとひとしきり筆者の足にその頭や体をスリスリ。撫でてあげると喉をゴロゴロ言わせながら、身をよじり始める。入浴時や就寝時には、その気配を察知して、筆者に急接近し、筆者のあごをなめ始める。

 

 パソコンを使い始めると、それを察知して接近してきて、机から床への小物の突き落とし、画面の前に立ちはだかっての妨害。それに飽きると、筆者の太ももを一時の寝床替わりに。そうかと思えば、急にスイッチが入り、筆者の手足を敵とみなしての戦闘モードやトイレを催した時のダッシュ。。

yhkhashimoto.hatenablog.com

 

yhkhashimoto.hatenablog.com

 

 あまりにも日々のルーティンに忠実なので、ひたすら苦笑するばかりですが、実は、「こんなことを考えているのかな」などど思い巡らしながら、改めて「吾輩は猫である」を読み返したいと思います。

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