花見も「生物季節観測」の一つらしい(無粋ですが)
■意外にばらつく開花日
3月19日の福岡と名古屋の開花で今年の桜前線が始まりました。21日の東京の後に、熊本(22日)、大阪・京都(23日)などが開花したように、今年は西から東、あるいは北上ではなく、まだら模様のようです。日本気象協会の開花予想だと、かつて住んでいた秋田は4月14日、札幌は5月2日。もう少しの辛抱です。
2011年~2015年の5年間の東京の開花日を見ると、最も早かったのは3月16日(2013年)、最も遅かったのが3月31日(2012年)。3月下旬という印象が強い桜の開花ですが、年によって変動が思いのほか大きいようです。
■江戸の桜の名所
東京の開花宣言は、靖国神社の敷地内にある桜をもとにしています。境内の能楽堂のすぐそばです。古びた札に標本木であるとの表示がされています。花見に靖国神社に行くなら、東京メトロの九段下駅を降りて、九段坂を上がって、市谷方面に向かい、千鳥ヶ淵緑道や靖国通りもセットでたのしんでいただくことをおススメします。
東京が江戸と呼ばれたころは「品川御殿山、飛鳥山、向島、上野、浅草、小金井などが著名であった」と日本大百科全書(ニッポニカ)にあります。同じ花見に行くなら江戸時代からの名所をめぐってみるのもいいかもしれません。
花見は奈良時代の貴族の行事が起源とされるので、1300年以上続いている行事です。7世紀から8世紀に編まれた日本最古の和歌集「万葉集」や平安時代に編まれた日本初の勅撰和歌集である「古今和歌集」にも桜を詠んだ句があるといいます。
■花見も「生物季節観測」
3月19日の朝日新聞土曜版Beの「今さら聞けない」で開花宣言について取り上げていました。記事によれば、気象庁では、桜の開花日や満開日だけでなく、ウグイスやカエデなども調査にしており、これらを「生物季節観測」と呼ぶそうです。ウグイスなら初鳴日、カエデなら紅葉日というように。
動植物の57種が対象で、チューリップは富山、東京ではウグイスは観測しない(できない?)など地域によっても違います。桜の開花日に比べると、あまり注目されていませんが、四季がはっきりしている日本らしい観測だし、季節の移り変わりを動植物の動向に求めている点がおもしろい。
ただ、おもしろがってばかりもいられません。温暖化や都市化の影響で身近な生き物が見られなくなっているそうで、トノサマガエルのように観測を休止せざるを得なくなった動物もいるからです。
消えたトノサマガエル 生物の観測、都市化で休止相次ぐ:朝日新聞デジタル
全国で同一基準を定めて調べるようになったのは約60年前。桜の開花は早く、カエデの紅葉は遅くなったという傾向がはっきり示されていると。桜は全国平均で6日早くなり、カエデは17日と2週間以上遅くなっている。記事によれば、「この傾向のままでは60年後、東京の紅葉はクリスマスごろになりそう」なんだとか。
都心の桜も満開を迎え、花見にはうってつけの週末になりそうです。
好奇心が人生を豊かにする(前編)
■一万円札の肖像画
一万円札の肖像に描かれている偉人といえば、誰もが知る福沢諭吉です。その福沢諭吉が書いた代表的な著作といえば「学問のすゝめ」。初編は1872年(明治5年)に刊行され、1876年に完成しました。
ウィキペディアによれば、「最終的には300万部以上売れたとされ、当時の日本の人口が3000万人程であったから実に10人に1人は買った計算になる」といいます。現在に置き換えると、「10ミリオンセラー」ということになります。
福沢諭吉はこの本で、国民に学ぶことの重要性を説きます。個人個人が近代民主主義国家の一員としての自覚と自立をその本に込めています。「個人が自立しなければ、国にも自立しない」と。そう考えると1万円札の見方も少し変わるかもしれません。
咸臨丸で勝海舟(仲は生涯悪かったようですが)とともに渡米したり、江戸幕府の幕臣として渡欧したり、と海外の見聞も広かったようです。慶応義塾大学を創設したことはあまりにも有名ですが、そのバックアップも受けて時事新報(産経新聞社の源流)という日刊紙も創刊しました。居合の達人でもあったとか。
■好奇心がパワーの源
こうした抜きんでた人物の共通点、つまりパワーの源は「好奇心」だと「頭のいい人が『脳のため』に毎日していること」(2010年)にあります。アインシュタインも自分の強みを尋ねられたとき、「好奇心だ」と答えたそうです。
日常に存在することはアインシュタインにすれば、不思議なことだらけ。それが彼の行動のモチベーションだったわけです。この本は好奇心がもたらす効果を実感している一人として、印象的な内容が他にも多く含まれています。
例えば、「心をオープンにし、好奇心を持つことで、毎日の暮らしのもっともありきたりな一面さえ、スペシャルなことに“改良”でき、皆が不安で立ち止まっているときに、自分は明るく一歩も二歩も先に行くことができる」。
もう一つ引きます。「好奇心は脳に巡らされた配線の一つ。自らを進化させるエンジンの役割を果たし、人が探索し、発見し、成長することを促す」。
■適度な好奇心を持とう
好奇心は誰にでも備わっているものですが、その強さや関心の方向は千差万別。「好奇心がとても強い人」が持っている共通の特徴というのも紹介されています。
- 興味、疑問に思う気持ちなどを激しく感じる
- 1日に何度も、常に新しいものを探している
- 不確実な状況にずっと飽きることがない
- 世界は無限の「広がり」があり、しかも「深い」と感じている
好奇心が”過度である”必要を筆者は感じていません。ただ、適度な好奇心は心を豊かにしてくれるものだとこれまでの経験上から確信できます。
何をもって情報弱者?スマホとにらめっこするのが情報強者とは思えないんだけど
■本当の”情報弱者”とは
「情報弱者」-「マスコミ報道やインターネットなどに触れる機会が少なく、情報の入手において不利な環境にいる人。また、情報の価値や真偽の判断に慣れていない人」(デジタル大辞泉)
最近読んだ「情報汚染の時代」(2014年)で、その言葉の意味を考えるようになりました。今どき「情報弱者」も知らないのか、と笑われそうですが。元々の意味が転じて、ITリテラシーが低くて、情報を効率よく導けない人に対する蔑称としても、一部で使われているようです。
誤解を恐れずに言えば、毎日何時間もスマホとにらめっこする人たちが「情報強者(という言葉が対語としてあるなら)」とはとても思えません。この本の著者も「時間投資の効果をきちんと考えることのできない人間が弱者なのであり、大量の時間をネットで費やすだけでは、決して情報を上手に利用している側にいるとはいえない」と。
まさに我が意を得たり。
同じ時間を使う場合、「得たい情報しか得ない」姿勢と「得られる情報を得る」姿勢があるのだとすれば、筆者は迷わず後者を選びます。そのほうが広い視野に立てると信じるから。以前も書きましたが、新聞の購読を続けている理由もそこにあります。
■高田明前社長が最後のテレビ出演後の会見
ジャパネットたかたの創業者、高田明前社長が最後のテレビ出演を行った今年の1月15日の会見で、「『情報弱者に口八丁手八丁で売っている』という人もいたが、僕には怒りはなかった。そう言われるのは、そう思って見ている人がいるということ」と述べています。
さらに、「引き継ぐ人がそれを理解して、『そうじゃないんだ、思いの中で語っているんだ』と思っていただけるように」とも。特徴的な話しぶりのイメージが先行しがちですが、思いがあってのあの話しぶりと分かれば見方も変わります。
高田さんは、以前「商売とは、伝えること」、「伝えないと、ないのと同じ」ということを別の場で述べています。こうした言葉に筆者は、広報担当者のあるべき姿を感じます。
■高田前社長おススメの「世阿弥の世界」
その高田さんが先日、朝日新聞の書評欄の「思い出す本、忘れられない本」というコーナーに登場しました。能楽を大成し、「風姿花伝」をあらわした室町時代の世阿弥のことを書いた本を取り上げています。
「初心忘れるべからず」ということわざがあります。これも世阿弥の言葉が元です。若い時に失敗や苦労を忘れるなという戒めですが、必ずしも「初心」とは「若い時」に限らず、他に二つあるのだと。それは「歳を経て積み重ねられたその時々」と「老齢期」です。高田さんも「初心忘れるべからず」の心境なのでしょうか。
詳細は記事に譲りますが、自分も早速この本を読もうと、図書館で借りようとしたところ、すでに予約が10件近く入っていました。「情報強者」というのは案外こういう人たちを指すような気がします。