「ケルン・コンサート」の何がすごいのか
■「ケルン・コンサート」の何がすごいのか
1945年米国生まれで御年70歳。3歳からピアノを始め、20歳でニューヨークに進出。25歳のころにはマイルス・デイヴィスと競演しました。キース・ジャレットが若干30歳(!)のときにあの「ケルン・コンサート」を録音します。キースの間違いなく、到達点の一つです。
人気を世界的なものに高めたジャズの名盤中の名盤ですが、ジャズをまったく知らなければ聴いたことがないかも。即興演奏によるピアノだけのライブ録音です。曲名も「Part1」、「Part2A」、「Part2B」、「Part2C」。
マイルスがその曲名を聞かれて"Say it anything(好きなようにつけてくれ)"と答えた曲がそのまま残っていますが、それに通じるものがあります。曲名が大きな意味を持たないことは、このアルバムを聴けばわかります。
前日の夜にソロコンサートをローザンヌで終え、朝早くにケルンへの車での移動を開始、グーグルマップによれば渋滞なしで6時間あまりの移動距離です。車の移動でもあり、相当の疲労を残したまま、ケルンに到着したことが伺えます。
会場に入ったキースは「ピアノ以外はすべて準備万端整っていた」ことを知ります。
「キース・ジャレット 人と音楽」(1992)によると、「ずいぶん前から調律されておらず、ハープシコードのきわめてまずいコピーか、ピアノの中に留め金でも入っているみたいな音がした」(以下同)と。
■絶望的な状況で出来た歴史的名盤
キースは替わりのピアノをスタッフにリクエストしますが、積み込みトラックはすでにない。替えのピアノを持ち運べるトラックをチャーターできる見込みもありませんでした。この日のコンサートは前から録音が決まっていたそうなので、絶望的な気分になったことは想像に難くありません。
そんな中、スタッフと「それまで出くわしたことのない暑さのイタリアン・レストラン」に出向きます。しかも「一番最後に食事がきた」と。食事時間に残された時間は15分。
24時間寝ていないままで、満足のいく調律がなされていないピアノ。「眠りかけたまま」ステージに臨むことを余儀なくされます。プロなら二の足を踏んでもおかしくない状況でかつてない伝説的な名演が生まれました。
「中音域と低音域はまずまずだが、高音域はしばしば安っぽい音がした」ので、中音域だけで演奏したのだと。CDを聴くと分かりますが、不自然にペダルを踏み込む音も挿入されています。
「つまりこういうことだ。ぼくはもう、ピアノの前に行って演奏するんだ。他の事なんか、もうどうにでもなれ!」そう決意して演奏に臨みます。限界状況の中で静かに始まります。60分弱の中で見せるドラマチックな展開は感動の世界です。
■キースが「眠気」から覚醒した名演
筆者はジャズマニアではありませんし、ピアノを弾くこともできません。断片的にそれまで聞いたことはあってもじっくり聴いたのは5年ほど前。それだけにジャズを敬遠しがちな人にこそ聴いてほしいです。名盤の名盤たる所以がそこにあります。
即興なので、この夜限りでしか聴けない演奏です。後に、譜面にもなったようですが、当人は気にすることもなく、このCDでしか聴く機会がないまま、演奏活動を続けています。眠気と格闘しながら覚醒したキースの神がかりな演奏をぜひ聴いてみてください。