記者は主観的でよいが、広報が主観的ではダメです
■記者は主観的でよいが、広報は主観的ではダメ
全国紙では定期的なローテーションがあるので、早ければ半年ほどで担当記者が変わることも稀なことではありません。そのたびに広報担当者も新たな担当記者との信頼関係を一から作っていくことになります。
広報を続けていて感じることの一つに、担当記者でも興味や関心は千差万別だということ。別の言い方をすれば、ネタに対して主観的な価値判断があるということです。おそらく記者自身の好みやバックグラウンドなどに左右されるのでしょう。
もちろん企業同士の提携などの大きなニュースが発表されたら、書くのは当然だろうし、自分だけが引いてきた特ダネなら、勇んでそれを記事にすることになりますが。そうでない記事の場合、主観的にニュース価値を判断することが多いのではないでしょうか。
他方で、広報が主観的では務まりません。全国紙の部長が「三つの“近さ”」を意識しながら、広報の業務にあたるべきだといっていました。一つ目は社内。二つ目は社会、そして三つ目がマスコミです。社内では特に社長との近さが重要です。
■広報に求められるタテヨコの柔軟性
別の全国紙の人は、「記者に喜ばれるのは、『タテヨコが柔軟な人』」だといいます。タテとは、例えば、自社製品がその会社の歴史・開発過程でどこにあるのか。自分たちの会社がどこへ向かおうとしているのか、ということを柔軟な第三者目線で伝えることだと。
そして、ヨコは業界のこと。自社商品はライバル社とどう違うのか、国内、あるいは世界的に見てどういう位置付けにあるのか、というような視点が大事だと。
タテにしてもヨコにしても、あるいは”近さ”にしても、一朝一夕に築けるものではありませんが、そうした意識を持っているかいないかで日ごろの業務への姿勢が変わってくるはずです。
マスコミに取り上げてもらおうと、PR会社の社員が相手の迷惑を顧みずに電話をかけまくったり、メディア訪問を繰り返したり、する話を見聞きします。「「タテヨコ」を意識せずに、マスコミにお近づきになろうとしても、煙たがられるだけです。注意しましょう。
電話や訪問の目的が、クライアント企業やそこで扱う商品のPRではあっても、主観的な記者の気持ちを動かすには、それなりの準備が必要です。いくら、「情報」が読んで字のごとく「情けに報いるもの」だとしても。